2024年11月30日土曜日

一生思い出に残る優勝パレード

徹夜で場所取り、はさすがにしなかったが、それでも徹夜はした。何故かというと、ちょっと数学をしてたら変なことに気付いたので。ある方程式の整数解が気に成っていて、コンピューターで実験したら解があるのは割と例外的な場合だろう、という感じだった。が、実はパラメーターがいくつでも必ず解がある、というとんでもないことに気付いてしまったのだ。最初は「えっ?」と思ったのだが、いくら計算してもそうなるし、コンピューターに計算させてもそうなるし。」とんでもないことに気付いてしまったぞ。ということで、示すべき目標が変わってしまった。まあそれはそれで面白くていいけど。

で8時に宿を出る。昨日書いた通り Baystars の優勝パレードを見に。既にそこそこ人がいた。が、徹夜で場所取りは流石に必要無かった。宿の場所を正確把握していないのと、パレードのコースも正確に分かっていないので、地下鉄の構内を通って横浜スタジアム方面を目指した。これなら迷わない。で表に出ると、既にユニフォームを着て気合十分な人がいた。現役選手のユニフォームの人が当然多いが、エスコバーだったりラミレスだだったり寺原だったりと、ファン歴が長い人が多い。横浜大洋のユニフォームの人や、鯨の刺繡のジャンパーを着た人もいた。横浜スタジアムより海に近い方に行くのは本当に久し振りだが、ぞろぞろと向かう人々と案内の人々が立っていたので、迷わずにそこそこいい場所に陣取ることが出来た。10時開始との告知だったが、暫くしたら「10時20分の開始を予定しております」というアナウンスがあった。2時間も立って待つのは辛いが、まあ仕方ない。でその後どんどん人が集まり、結構阿鼻叫喚の様相を呈してきた。で待てど暮らせどパレードが始まらない。皆結構イライラしている様子だった。で10時50分過ぎに漸く目の前を車が通り過ぎて行った。番長と南場オーナーを乗せたオープンカー、牧とよく知らない人が乗ったオープンカー、大貫とよく知らない人(周りの人の情報によると横浜市長)が乗ったオープンカーが通過。全員オープンカーだとよく見えないぞ、と思ったが、4台目からはバスの上に選手が乗ったのだった。佐野、宮崎、戸柱など、よく見えた。皆選手の名前を呼んでいたが、平良への声援が無かったのと、田代コーチも人気が無かったようなので、叫んでおいた。その後スタッフなのか何人か歩いて通って行ったが、「あ、斎藤さんだ」という声が聞こえた。斎藤というと明夫か隆しか思い浮かばないが、数年前に引退して今はチームスタッフをやっている斎藤さん(名前失念)だった。3時間近く待ったが、目の前を通過したのは一瞬だった。いい思い出が出来てよかった。皆スマホだったり望遠レンズを付けたカメラだったりで撮影していたが、小生は写真は撮らなかった。見るのに必死だったからね。楽しかったです。

で大変なのはその後。主催者発表によると50万人だかの人が押し寄せたらしく、日本大通方面へ向かえとのアナウンスだが、ちょっとずつしか進まない。通りに出るまでが大変。で通りに出たらまあまあスムーズに動き出したが、それでも交差点では大変なことに成ってて、曲がりたくて待ってる車、普通に観光しに来たと思しき人々が流れと反対方向に歩いてたりと、地元の人には多大なる迷惑を掛けたな。まあ26年振りだし、許してください。12時前だったので途中で食事をしようかと思ったが、あっちこっち行列が出来てた。で何処まで行っても青いユニフォームを着た人を見掛けた。今日は雲一つない晴天で、日差しがあってちょっと暑かった。上着無しでユニフォームで見ても大丈夫だったな。まあ一つ後悔は、何故赤いシャツを着てしまって行ったのかということ。せめて青いシャツを着てくればよかったな。でちょっと横浜市内でも土地勘の無い所を歩いたので、宿に辿り着くのに結構苦労した。馬車道に出たが、宿は馬車道から一筋入った所だったので、結構ぐるぐると馬車道周辺を歩いて、朝地下鉄の駅に向かった時の角に「慶応マッサージ」という謎な看板を見付けていて、それが見えたのでホッとした。コンビニエンスストアで焼売弁当(流石に崎陽軒のではないが)を買って食して、メールを一通書いてダウン。さっきまで寝ていた。電車で帰るのだったら数時間は待つ羽目に成ったろうな。地下鉄は臨時列車を走らせると書いていたが、JRとみなとみらい線はどうなのだろう?

さて、これから食事をしないといけない。この時間だとコンビニエンスストアでカップラーメンを買ってきて食すくらいしか選択肢が無いな。まあそれでいいです。楽しい一日だった。ちょっとまだ腰が痛いが、まあ思い出ということでね。また遠くない未来にやってください。理想は来年。リーグ優勝しましょう。それだと27年振り。で下剋上されずに日本シリーズも勝ち抜きましょう!