2024年9月6日金曜日

神奈川区にある蔦金(出川哲朗の実家)まで行って、お土産の海苔を購入

11時にアラームが鳴るようにしておいたが、起きられなかった。その後何回か鳴るように設定したつもりだったが、設定ミスで鳴らずに、最終的に起きたのは1時過ぎ。まあいいです。兄者が買っておいてくれたパンを一個齧ってから横浜駅へ向かって出発。

何をしにいったかというと、横浜土産を買いに。で興味があったし、知り合いが食べてみたいと言っていたので、出川哲朗の実家の海苔屋へ。昨晩入念に下調べしておいた。そごうの下にある横浜駅東口のバスターミナルから46系統の市バスに乗ればいいが、バスは40分に一本程と少ない。乗り遅れたら大変なので、時間をスマホのメモに書いておいて、余裕を持って出掛けた。横浜駅の京急改札口からそごうって結構遠いと思っていたが、存外近かった。そごうに行ったのって、1998年に大魔神佐々木主浩を神様とした「大魔神社」というやつに実物大の右手の像があったのを見に行って以来かな。結構賑わっていたのを覚えている。でバスに乗ってみると、2つ目のバス停が目的地。が、高速道路下の何も無い所を走るので、一つ目のバス停まで結構距離があった。で車窓右側に「つた金」の看板が見えた。おぉ。迷わず行けそうでよかった。もっと大きな店かと思ったら、想像より小さい店構えだった。で周辺に何も無い。朝7時開店、夕方4時閉店なのは近くにある公設市場の営業時間に合わせてるんだろうか?適当なものを購入。店には若そうな男女が1名ずついただけで、出川のお兄さんはいなかった。帰りのバスは運よくすぐ来て、横浜駅に戻ってきた。でそごうのレストラン街で鰻でも、と思ったら、2時を過ぎていたので、昼の営業は終了、というつれない看板。じゃあ天麩羅は、と思ったらそっちも。むぅ。殿様商売やな。地下街にも食べる所があるので、そっちへ向かう。豚カツの和幸は上大岡にもあるので、そこはパス。「上等カレー」の看板が目に付いたので入った。山科にある「得正」の器にも「上等カレー」と書いてあるから、系列店なのかもしれないな。「得正」のカレーは一口目は甘いのだが、結構スパイスが強くどんどん辛くなってくる。今日の店は甘さもスパイシーさも「得正」程ではなかった。どうなんだろう?金沢文庫行の急行に乗って上大岡まで。その後京急百貨店でジーパンを受け取ってくる。ちょっと同じ階にある本屋の数学書(ちょっとしか置いてない)の所を見ると、高橋浩樹氏の新刊本があった。買おうかと思ったが、昨日兄者にポイントカードを返してしまったので、買わなかった。後で生協に注文することにする。

帰ってきてしばしニュース。関西だとホラン千秋は5時50分まで登場しないが、関東だと4時前から番組は始まってるのか。月~金と夕刻にニュース番組の生放送をやっていて、火曜日、土曜日にレギュラー番組を持っているが、 何時頃収録してるんだろう?土日は休みたいだろうしな。

などとしている間に6時。今日もTVKで Baystars vs. Carp を放送してくれるので、3チャンネルに合わせる。2回裏に京田がタイムリーヒットを打った後、暫く点が入らない。先発のケイは何度かピンチを作り、5回表は満塁のピンチを作るも無失点。すると6回裏にオースティンがタイムリーヒットを打ち、待望の2点目。が、今日はまだ先が長い。7回表にケイがランナーを残して交代すると、代わった伊勢がヒット、タイムリーヒットで1点返されてしまう。が、代わった中川颯が抑えてガッツポーズ。ケイは2か月くらい勝ち星が無いそうだから、今日こそは、と思ったが、8回表にウェンデルケンが同点にされてしまう。ケイの勝ち星はまたするりと抜けていった。で9回表は森原。走者を二人出すも無失点。10回表も森原で、今度は三者凡退。10回裏に1、2塁のチャンスを作るもサヨナラならず。11回は佐々木千隼。ここのところ安定感抜群だが、失点しまずい展開に。が、今日は違った。キャプテン牧が「勝ち切る覚悟」と言い出してから無敗の Baystars。佐野がバットを真っ二つに折られながらレフトに打球を運んで、オースティンが粘って四球。牧がタイムリー2ベースヒット打って同点。牧は2塁ベース上で雄叫びを上げていた。宮崎が申告敬遠で歩かされた後、今シーズン絶不調の大和が内野フライを打ち上げ1アウト。先制タイムリーの京田は内野ゴロで本塁でアウト。で打者は途中代打で出場し守備についていた伊藤光。あまり期待は出来ないな、と思っていたが、粘って粘って、最後はサヨナラの押し出し四球を選んだ。よしよし。6連勝。9連敗を大分取り返したな。貯金は3。明日一日休んで、土日は東京ドームで Giants とデーゲーム。Carp を首位から落としてしまったから、土日は今度は Giants を首位から引き摺り下ろす。頑張れ。

野球の途中に兄者が仕事から帰ってきた。ここのところ親父殿の件で休んだり早目に帰ったりしていたので、仕事が溜まっていたらしい。で色々話していて、びっくりしたことが。親父殿が入院しているのを親戚に知らせたか?と聞いたら、もう知らせる親戚など殆どいない、との返事。いや従妹にくらいは知らせれば、と言ったら、親父の妹の一人から兄者にその人の娘と息子が死んだという電話があったらしい。折り返し聞きたいが電話番号が表示されていなかったそうで、折り返せない、と。その従妹に電話したら、電波の繋がらない所か電源が切れているかのいずれかとのことだったとか。他の従妹も連絡先を知らないのでどうしようもない、と言ってた。親父殿とお袋はもう何年も前から年賀状のやり取りをやめてしまっていたからな。電話番号を書いたものが何処かにある筈だが、と言ったら、探してみる、という返事。まあ探さないだろうな。今パラリンピックを見てるから、流しながら探しておいてあげようか?まあ何にしても、横浜とは縁が切れそうな感じになってしまった。正月に兄者の顔を見に帰ってくるくらいのことはしてあげよう。